dimanche 25 mars 2012

"The Day After Trinity" を観る

Il y a un an Hiroshima (2012)
Hisashi Tôhara


ロバート・オッペンハイマーに関する映画 The Day After Trinity (1980) を観る。西欧の考え方、日米のものの観方の隔たり、科学技術に対する科学者の態度、政治と科学、状況の中の科学者など、考えさせることの多い1時間半だ。

以前に観たものと合わせると、この科学者の立体的な姿も浮かび上がってくる。残念ながら以前のものはすでに期限切れになっている。



もしナチが勝利すれば西洋文明は滅び、千年の暗黒時代を迎えるという危機感。さらに「アメリカの力を全く理解しない狂気の国」によるパール・ハーバーが加わり、アメリカを一つに結びつける。ノーベル賞学者と若者が共に一つの目標に向かったマンハッタン・プロジェクト。彼らはこの計画を楽しみながら進めていた。それを可能にしたのがオッペンハイマーで、彼以外にはできなかっただろうと言われる。


結局、ナチは原爆開発には至らず、1945年5月8日ヨーロッパで勝利を収める(VE Day)。ロバートの弟で物理学者のフランクが指摘するように、ここで計画を止めるのが最善だったのかもしれない。確かに、当初の目的はなくなったのである。それでも計画が進行したのはなぜなのか。


ロバート・ウィルソンさんは言う。論理的には止めるのが当然なのだが、そのことを言う人は一人もいなかった。フリーマン・ダイソンさんは指摘する。膨大なものをつぎ込んだプロジェクトは一度始まると途中で止めることができない。オッペンハイマー自身も国連ができる前に原子爆弾という技術が可能であることを示そうとした。そして1945年7月16日、Trinity で最初の爆弾が爆発する。ロバート・ウィルソンさんは、その日から以前のわたしではなくなったと証言している。


この成功で爆弾の実戦での使用が問題になる。フリーマン・ダイソンさんは繰り返す。行政が準備した流れができ上がり、そこに向かうのは必然であった。その時に "NO!" という勇気を持った人は一人もおらず、オッペンハイマーは実質的了解を与えていたのである。


そして広島で爆発する。彼らの最初の反応はやり遂げたという昂揚感、そして鬱が続くことになる。人間を物として扱ったという罪悪感のためだろうか、精神を病む人が出てくる。ロバート・ウィルソンさんもその一人だ。日本の降伏がなければ、3発目を使う可能性も検討されていたという。


オッペンハイマーは戦後、原爆を国際協力で封じ込めようとする。他の武器と同じように使ってはいけないと考えたからだ。しかし、共産主義の脅威が迫り、安全保障の面から政府はそうは考えない。1952年11月1日、最初の水爆が爆発。マッカーシーによる赤狩りも始まる。


オッペンハイマーは共産主義に共鳴した過去から取り調べられる。この過程は以前の映画に詳しく描かれていた。その結果、危険人物と見做され、13年に亘る監視下に置かれる。そして、彼が再び国の政策に関与することはなかった。国のために全力を尽くして仕事をやり遂げたオッペンハイマーがその国に捨てられたのである。この仕打ちは彼を完全に破壊し、実質的な死の宣告を意味した。計画は Trinity の後に (the day after Trinity) 止めるべきだったと語る晩年のオッペンハイマー。


無限の可能性を秘めた技術を目の前にした時、科学者はそれを使ってみたい誘惑にかられる。フリーマン・ダイソンさんの言う "technical arrogance" (技術に対する傲慢さ) に目を眩まされるのである。現代の問題は多かれ少なかれそこから生まれているのかもしれない。後戻りできない歩みもそこから始まったと言えるだろう。








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